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★今日のベビメタ
本日1月4日は、2013年、日テレ「ハッピーMusic」に出演し、“世界征服”の書初めと、メジャーデビュー曲「イジメ、ダメ、ゼッタイ」を披露した日DEATH。
「世界の音楽産業」のデータによって、日本の音楽市場が世界第2位の規模を持ちながら、配信が主体の世界的な傾向とは異なり、パッケージ商品が売上げの主体であるという特殊性が浮かび上がった。
この特殊性は、マスメディアの状況と密接な関連があるに違いない。世界11位となる1億2000万人もの人口があり、GDPでも世界3位の先進国なのに、NHK以外の全国ネットのテレビ局(キー局)が5つしかなく、地方局はその系列に入っている。そのキー局は、全国販売網を持つ大新聞社の子会社となる「クロスオーナーシップ」によるもので、地方紙もローカル記事以外は2つの大通信社から記事の提供を受けている。
だから、何かセンセーショナルな事件が起こると、テレビ局や新聞は一斉にその事件の詳細を報じ、結果、どの新聞もどのテレビ局も同じような内容一色になってしまう。そのため、新聞社とテレビ局が世論を一定の方向に導くことも可能になっている。
このようなマスメディアの在り方は、日本文化の均質性や国民統合の土壌となっているが、一方で大勢に異論を差し挟む者にとっては、居づらい社会にもなっている。
音楽に関しても、テレビに出ているアーティストこそ「有名」であり、「一流」であるというのが「常識」である。
ライブハウスで観客を熱狂させたり、海外で活躍したりするアーティストでも、テレビ局がプッシュしなければ、お茶の間には登場できない。そういう「有名じゃない」アーティストのファンは、パッケージ商品を購入し、「所有」するしかない。
AKB48は、こうした日本特有の状況を逆手にとって、少女たちに「テレビに出る」「シングルのジャケット写真に入る」選抜メンバーになることを競わせ、その競争にファンを巻き込んだ。それ以外の「アイドル」たちは、テレビ局のプロデューサーやディレクターに主導権があるバラエティ番組で「ツメ跡を残」し、「テレビに出続けて有名になる」ことを目標に努力する…。
BABYMETALは、テレビのバラエティ番組とオリコンのランキングに依拠する「アイドル」のスタンダードを脱して欧米市場に進出した。
ふつうの「アイドル」のように努力してテレビに出て知名度を上げ、オリコンランキングで上位に入ったとしても、市場規模は世界第2位の大きさである。日本+欧米の音楽市場を主戦場とすれば、市場規模は約4倍となる。
5年前の今日、日テレ「ハッピーMusic」で宣言した「世界征服」とは、当時ファンの多くが気づかず、バラエティ的な「冗談」だと思われていたが、実はこのことを意味していたのだと思う。
Dir en Grayや再結成後のX-Japanを評した「Japanese Invasion」とは、こうした日本の音楽市場の特殊性や閉塞性に気づいたバンドたちが、より大きな可能性を持つ欧米市場を目指す先行事例だったのであり、BABYMETALは、これらのバンドやCrossfaith、One Ok Rockなどと共に、いまやその最先頭を走っているのである。
では、日本のロックないしポップミュージックが、欧米市場で“そこそこ”の地位を占めるためにはどういう要素が必要なのだろうか。
60年代の「British Invasion」は、The Beatlesを筆頭として、イギリスのローカルバンドの音楽的な革新性を主たる要因とする。
アメリカ音楽は、文化と同じくヨーロッパ音楽のコピーに始まるが、土着的な黒人音楽の要素を取り込み、かつ近代的な録音技術やプロモーション手法によって、「ポップス化」「商品化」していくところに大きな特徴がある。
ブルースは、白人音楽であるカントリー、ヒルビリーと融合して、ロカビリー、ロックンロールへと発展していった。ゴスペルやジャズはオペラと融合してミュージカルや映画音楽やポップスへと発展していった。
一方、イギリスは当時「イギリス病」といわれる経済不況にあり、フラストレーションを抱えた若者たちは、アメリカで流行していたロカビリーやロックンロールを場末の酒場で、同じような若者が演奏するバンドに熱狂していた。
The BeatlesもRolling Stones、Animalsなどと並んでそうしたバンドの一つであったが、ジョンのハスキーなボーカル、ポールの独特のベースラインとハーモニー、リンゴのねばりつくようなタイム感、ジョージの朴訥なリードギターは、唯一無二の響きを持っていた。
Rolling Stonesは、よりブルージーで不良っぽいスタイルだったが、実はアメリカ南部黒人ブルースマンに憧れ、つい昨年もブルース楽曲だけのアルバムを出すほど、「正統派」だった。「朝日の当たる家」が世界的な大ヒットとなったAnimalsも、典型的な3コード進行の楽曲が持ち味だった。
対して、The Beatlesは、初期こそ典型的なR&Bのカバー曲を演奏していたが、オリジナル曲はポップなメロディとオリジナリティあふれるコード進行、歌詞の深みを持ち、黒人っぽさはほとんど感じられない。
The Beatlesは1964年「エド・サリヴァン・ショー」に出演して全米に知られるようになった。白人ロックローラーとして大人気を博していたエルビス・プレスリーが、腰を振りながら歌うのが「卑猥」だとされたのに対し、4人はスーツを着こなす礼儀正しいイギリス人だった。キュートなヴィジュアルを持つバンドが、若々しい恋の歌を演奏しながら歌うという新しいポップロックバンドというスタイルは大人気を博し、4人は少女たちの「アイドル」となった。
The Beatlesが成功例となり、アメリカではテレビ番組とタイアップしたThe Monkeesが作られ、イギリスから「より不良っぽい」「British Newest Hit Maker」という触れ込みのThe Rolling Stonesが全米デビューする。
一方、イギリスへ渡っていた黒人でサウスポーのギタリスト、ジミ・ヘンドリクスが、同名の電気技術者が作った大音量のマーシャルアンプで演奏し、イギリス人に衝撃を与えていた。この店には常連としてエリック・クラプトンやリッチー・ブラックモアも通っていた。エリック・クラプトンが在籍していたのがヤードバーズであり、クラプトン脱退後の公認ギタリストがジェフ・ベック、さらにベーシストとして在籍していたジミー・ペイジが、ジェフ・ベックの脱退後、ギタリストとしてメンバーを一新、ロバート・プラントらと再結成したのが、ニュー・ヤードバーズ改めレッドツェッペリンである。また、ドイツ、ハンブルグなどでセッションしていたリッチー・ブラックモアが、キーボーディストのジョン・ロードらと結成したのがディープパープルである。大音量のブルースロックはイギリスで独自に発展し、ハードロックと呼ばれるようになり、ディープパープルが導入したクラシカルなメロディラインは、のちのへヴィメタルの元祖になった。
今から考えると驚くべきことだが、The Beatlesの「エド・サリヴァン・ショー」出演が、1964年、The Rolling Stonesの全米デビューも同じ年だったが、「ザ・ローリング・ストーンズ・ナウ!」がビルボード5位となったのは翌1965年。ディープパープルの「ハッシュ」がビルボード4位になるのは1968年、レッドツェッペリンのセカンドアルバムが1位となるのが1969年である。この間わずか5年間。
まさにThe Beatlesが切り拓いた「British Invasion」がアメリカの音楽界に侵入し、衝撃を与えたことがわかる。R&Bやカントリー色が濃かったシンプルなロックンロールは、イギリス人によって「ロック」「ハードロック」になったのである。だから“ロックの本場”は、アメリカではなく、イギリスなのである。
(つづく)

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